はてなにとって、(コミュニケーションではなく)はてなユーザー自体がコンテンツなんだな

怖いサービスがある=はてな怖い


こうなるんじゃなかろうか。また、こういう感覚が一般的な気がするんだな。

目に見えると怖くなる - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

問題のはてなのサービスは、個人的には大声でヤメロと叫び出したいということはないが、信じがたいほどに無神経だなとは思う。
このような個人情報の収集は、例えば小売業界などでも様々に試みているのだろうが、その情報を公開しようなどとする企業は無い。そんなことするメリットがないからという以上に、どう考えたってプライバシーの問題に触れるからだ。
そこんとこの「キモチ悪さ」ってのを上記エントリがうまく言ってる。
個別には無意味な情報も、多量に収集し一定の基準で並べることで意味を見出すことはできる。
そうすることで、各人に関して、各人がその都度提供を許可した(それ自体としてはほぼ無意味な)情報以上のものを得ようとしているわけだが、それは個々人が提供した情報の総和を超えたもので、各人の「許可」の範疇を超えているのではないか? という気もするわけだ。
(もっとも継続的に通い、消費行動を系統的に把握してもらうことで「常連さん」「お得意様」みたいになれたりするわけで、顧客サービスの一貫ということはできる。問題は公開されることね)
この新サービスを「はてなストーカー」といった人がブコメにいたが、いわゆるストーキングだって、個々の行為自体を個別的に見ていけば法的に問題は無いわけだ。路上ですれ違ったって、電話したって、家の周りの公道をうろうろ歩き回ったって、それらはそれ自体としては全然問題ない。
だからこれらまったく罪の無い行為をいくら継続的に積み重ねても罪にはならない、とでも言いたげなブコメが(この種の問題の時には)必ずあるが、それはストーキングは犯罪じゃないと言っているようなもの。個別の事実/情報がどうではなく、それらが全体として評価された時はまた別の意味合いを持つのだ、という認識はいまや常識だと思う。
ただ実際最近までストーキングは犯罪じゃなかったわけで、そういう認識が本当に腑に落ちない人はいるのだと思う。
そしてはてなもそうなのだろうな、と思わせるサービスではある。
で、長い前フリの後の本題なのだが、こういう発想自体はSNSからきていると思うのだが、多分はてな的にはそういうのとは違い、個々のはてな市民(上記エントリ主のように有名な人たちね)自体をコンテンツとして楽しんでもらおう、という発想なのだろうな、と思った。彼らの書くエントリだけでなく、彼らが何やってるかをも見せようってわけだ。
ブログ自体はコンテンツではなく、ブロガーがコンテンツ。芸人がいったんブレイクしたらもうネタなんてやらせずにバラエティ番組でトークさせるほうが儲かるぞ、と考える芸能事務所みたいなものかな。芸ではなく芸能人/有名人がみんな好きなんだよね。
それと、はてなという会社の、特にコミュニケーションに関しての発想が奇妙に歪んでいるのが気になる(笑)。
ブコメでもスターでもそうだし、今回のもそうだが、とても一方通行的というか、非対称的。対象と自分とのコミュニケーションが透明/双方向的になるのを忌避しているように感じる。
というか、そうならないような仕組みにあえてしている。こちらからは見えるけど向こうからは見えない、という関係に奇妙なこだわりがあるようだ。
要するに、いわゆる(リア充的な)コミュニケーションに対するフォビアみたいなものをそこはかとなく感じる。
はてなユーザーを見て、ああこのサービスにしてこのユーザー、という気も(笑)。