レジ打ちはパケット定額プランなんだって

以下エントリに関して、レジ打ちはそのようなプランなのだ、という話を。
才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い:コトリコ
高度な技能が報われないのを見るのは寂しいものだし、理不尽とさえ感じる、というのはわかる。*1
普通に考えれば、経営側の言い分としては、レジ打ちはそれ自体として利益を生んでいないので、給料が成績に応じて大きくなるというのは馴染まないということだろう。
これは意外と指摘されない。以下エントリははその単純なことにちゃんと触れいている。
シャア・アズナブルは、スーパーのレジで「赤い彗星」となりうるか:煩悩是道場

レジ打ちのバイトの時給がレジ打ちの人にどのような才能が存在していてもそれほど変化が無いのはその仕事自体に時給以上の価値が無い事を意味しているのだと思う。

もっともシャアのようなおばちゃん達(シャアは複数いない、というなら三連星でも可)によりレジの人数を減らすことができ、かつサービスレベルを低下させないなら、オルテガらには良い給料をやってもいいはず。
だがそれはだれの声だろう?
多分経営としては、レジ打ちにかかるコストとサービスレベルに関して一定の線引きがあり「これを上限とするコストで可能な程度のサービスを維持してほしい」とだけ思っているだろう。
だからオバチャンがそれを超えた速度でパケットをいくらさばいてもパケホーダイ扱いである。
経営的には、天井はあらかじめ決まっており、それを超えるコストをかけてまで更にサービスレベルを上げる必要は無い。レジ打ちは利益を生まないからだ。
経営は、かならずしもレジ打ちを必須のサービスと考えていないのは上エントリにもある通り。彼らは例の技官同様、「あんなの飾りだ」と考えている。エライ人はそんなに馬鹿ではない。
シャア・アズナブルは、スーパーのレジで「赤い彗星」となりうるか:煩悩是道場

弾さんが言うところのキャリア形成とやらは、だからレジ打ちではない別の場所でするべきなんであるという結論に達するわけなのだけれども、じゃあそうした職場環境を2007年12月現在の日本国内においてどれほどの人間が入手する事が可能なのか、という疑問も同時に発生してくる。

むしろおばちゃんの現実的な?キャリアアップとしては、レジがヒマな時間帯には店内に出撃し、買い物客に口八丁手八丁で余分に商品を売り込む、という方向があるだろう。
レジ打ちを歩合制にした上で
「この商品を自分のレジを通って買ってくれれば、ポイントサービスするよ」
ぐらいの裁量を与えられれば、変なマスクで扮装し「ラ・セーヌの星」等とあだ名されるようなカリスマも出てくるかもしれない。つか出てくるだろう。卓越した人材というのは探せばけっこういる。
もっともこれはいわば「新自由主義」で、こういうのが行き過ぎた結果、いらぬ貧困を生んでいるような気もする。
つまり現実にレジ打ちがどんな人のどんな要望に対応した料金プラン=職種かを考えれば、キャリアアップは余計なお世話かもしれないということだ。むしろキャリアアップを口走ってしまう人の職業(差別)観が透けて見えないでもない。

*1:だいぶ前、NHKのドキュメンタリーで、全国チェーンのスーパーの鮮魚担当のおばちゃんが、時給を上げようと家族を犠牲に研鑽し包丁の技能を磨き栄養学の資格を取り、全社で数人しか受からない社内の試験にパートながら合格した結果、時給がわずか50円上がっただけ、というのを見て、その理不尽に泣いた。