東を全力で擁護してみる

個人的には東を多く読んでいるわけでもなく、また読んだ際にもどちらかというと同意できない部分が多いなあと感じているので、ズレた擁護になるかもしれないが、なんとなく彼フルボッコでかわいそうだし。エセ科学批判批判についてもちょっと。
東批判はここら辺でまとまっている。いずれも説得的である。
歴史を「感覚」に帰着させようとする営み:Danas je lep dan.
進化論否定論者のように南京虐殺を扱う東浩紀:地下生活者の手遊び
異論を可能な限り網羅したいので無駄に長いが(ええ短くまとめられないだけです)、気が向いたら読んで。


発端はここだろう。これを歴史修正主義(を擁護する態度)だと取られている。額面どおり見ればそう読まれて仕方ない。しかしこれは歴史学のことを言っていない。

東浩紀の嫌韓流容認論より孫引き

東 世界にはいろんな立場の人がいます。たとえば、南京虐殺があったという人となかったという人がいる。ぼくは両方とも友達でいます。このふたりを会わせて議論させても、話が噛み合わないで終わるのは目に見えている。なぜならばふたりとも伝聞情報で判断しているからです。歴史学者同士なら生産的な会話は可能でしょう。しかしアマチュア同士では意味がない。(中略)ちなみにぼくは南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞情報でしかない。

まず意識しなければいけないのは、南京の問題を日本人(の学者/知識人)が扱う場合、何らかの意味での歴史的な責任の問題を避けて通れないということだ。端的に戦争責任といってもいい。
無論、戦後の世代にその直接的な責任は無いという立場もあるだろうが、ここで言うのは、そうであっても「もはや責任の無い世代だ」との表明は必要なのだ、という広い意味での責任だ。
実際、東がここで槍玉に上がっている理由は、彼の歴史的事実に対する態度/手法というより、それが知識人としての戦争責任の表明であるという周囲の認識によっている。そんなズサンなやり方での責任意識の持ち方は学者/知識人としてどうよ、ということだ。
つまり彼は学問(歴史学)的に批判されているわけではなく(つまりエセ科学として批判されているわけではなく)、政治的に批判されている。批判者がその批判の根拠としていくら正確な学問的知見、学術的方法を挙げようが、彼は本質的に歴史学とは無関係な政治的批判を行っていると言っていい。日本の知識人としての立ち位置や影響力が問題視されている。
仮に単に学問的な問題であるなら、その認識/方法論は間違っている、で終わりである。
責任には、当然それを負う「主体」が必要になる。例えば知識人たる東がその主体であるとして、彼の取るべき「責任」とは何か、に東は拘泥しているように見える。
例えば東の言う「データベース的」主体は責任主体足りうるだろうか?*1
だが彼にあるかもしれないこんな問題意識を批判することはたやすい。大塚が言うように単に無責任と言えばいいからだ。
だが彼はポストモダン的リベラルの問題として

B.ポストモダニズム系リベラルの理論家は、「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」と随所で主張している。



C.だとすれば。ポストモダニズム系リベラルは、たとえその信条が私的にどれほど許し難かったとしても、南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはずである(この場合の「耳を傾ける」=「同意する」ではない)。



C'.逆に、もし「南京大虐殺がなかったと考えるなどとんでもない」と鼻から言うのであれば、そのひとはもはやポストモダニズム系リベラルの名に値しない。

あげており、これに学者/知識人として取り組んでいるとしている。
この問題は、その語が直接含まれていなかったとしても、あきらかに現在的な公共圏における発言/行為の「責任」「主体」、その可能/不可能の問題と無関係ではない。その意味でむしろ彼は彼のフィールドで学問的に「責任」と向き合っているのであり、彼が彼の学問的な立場で責任を果たすとしたら、第一にその場所である。
例えば彼は大塚に「南京は歴史的事実であり、知識人としてそうと言う(広義の)責任がある」と答えることはできたろう。実際彼は留保つきながら南京を積極的に肯定している。*2
だが彼の学問的な問題意識は、では公共圏でそう言う際の「(知識人の)責任」とは何だ? ということのはずだ。ここをスキップして安易に責任を言うとしたら、学問的には不誠実と言うほかない。(むしろ問う側の「責任」の意識をこそ聞いてみたいものだ)
例えば東のブログのブコメに、

ID論に「場所を与える」ことを拒み続けるアメリカの科学者・政治家・教師・市民に僕は敬意を表するよ。

とのコメントある(id: navecin氏)。だがこれは転倒した論理だ。
無論、知識人には学問的な責任と同じくらい社会的な責任がある。東の言い分は結果的に修正主義者たちを擁護するものだと言いうる。
ただ否定論批判が歴史学者によってなされるか、そうでないかは違いがある。ID論の批判を、物理学者のみならず、経済学者や工学者が行っているだろうか? だとしてそれは物理学者がするのと同じ意味/責任を持つものか?
否だろう。歴史学者でない東が南京の歴史的事実性について語ったとしても、それはまさに

問題はそんなことではなくて、ぼくが言いたいのは、いまやいろんな人間が自分の思想こそが公共的だと勘違いして、何億というホームページを開設して情報を垂れ流している。

ような状況とみなしていい。これは端的に無責任と言えるだろう。歴史学者ならぬ彼の体験的な南京など戯画であるし、学問的なアプローチを模倣したとしても同様だからだ。
それも素人としての東ならいいだろうが、知識人東による発言とみなされる。(社会的な)責任を引き受けることが、無責任を結果しうるのだ。これが東が繰り返し自分は歴史の専門家ではないと言っていることの意味だ。
それでもその種の発言は知識人として「政治的に正しい」態度だ、とはいえるだろう。
学問/学者が社会/政治に束縛されるべきか否かは、原子物理学や遺伝子工学の例を引くまでも無く意見が分かれたままだ。少なくとも現在いかなる立場も政治的/党派的である。この水準で、自分の学問を選んだ東も、それを責任放棄と批判する者も、単に政治的だ。
要するに、東および批判者のこの問題は完全に政治的な問題で、しかもそれはある意味で彼の学問の対象領域でもある。それが彼の態度を煮え切らないものにしていると思う。
そして忘れてはならないのは、そもそもこの問題は、大塚が東の「責任」を問うたことから始まっているということだ。
だからむしろ考えるべきは、歴史学/科学的な知見により、東の戯画を批判しうると本気で考えてしまう人たちの「責任」の意識だろう。
無論、有名/無名なブロガーでもそれぞれのかたちで南京に関する広義の責任に真摯に向き合っている人達がいることを私は知っている。
だが他方、歴史学的な知見を蓄積し、南京の事実性に科学的に迫ることで、広義の「戦争責任」を免責/相殺され得るかのように感じる人達がいてもおかしくは無い。というより多くの場合、政治的な党派性にはそのような動機が背後にある。真実に至ろうとすることを贖罪であるかのように感じるとしても自然なことだろう。あるいは「責任を果たせた」と感じるとしても。
この場合、厳密に歴史学的/科学的であることは、それに帰依することで赦しが与えられ、学術語を唱えることで魂が浄化されるような体験となるだろう。だがその態度は科学的でないのみならす、政治的とすら言えない。
ポストモダニストの知識人として、真摯に向き合う/責任を持つ、とはどのような態度をいうだろう? 単に科学的であるということか? あるいは責任は取りえないと言うことか?
東が言っていることはそういうことではないのかと思う。彼はポストモダニズム特有の無限の相対化で「責任」を消去できるなどと言っているわけではない。
それがいかに学術的な達成に基づこうが、この「責任」の問題を回避して主張される立場など単に党派的なだけだ。
そしてそのような態度こそが、歴史的事実性を政治的党派性の問題に矮小化するだろう。その際喜ぶのは歴史修正主義者ではなかったのか?
そして自らの党派性に無自覚なまま科学の正当性を主張するなら、それは既に宗教的である。
だが宗教的であることは別に悪いことではない。悪いのは、そこにおいて救済が、「責任」の消去が行われることだ。
それが東が忌避/批判したかったことだろう。知識人が責任について語る/語らないとき、政治は避けられない。知識人としての東は政治的にはタコツボに内向することを選んだと言っていい。それを無責任と見るのはいいが、安易に責任を口にすることが無責任に帰結することもまたあるわけだ。それを意識しないことこそ無責任だろう。
そもそも大塚のいう、専門家(歴史学者)でも読者=大衆でもない「知識人」とはいったいなんだ? 学術的に語り得ないにもかかわらず役割として良識的・啓蒙的であろうよといった程度の、簡単に相対化されてしまうような無責任な立場にさえ見える。(本エントリでも無造作に使ってしまったが)

*1:そもそもこの国において、(西田幾多郎においてさえその不在が指摘される)「責任」なる概念が成立しているといえるだろうか? 例えば東洋哲学では主体を無化することで「責任」の問われようがない。

*2:「私的信念」としてだ。