想像力って政治的な語彙だが、もう通じないのだろう

このエントリとそのブコメを見て、なんとも言えない気分になったので、ちょっとだけ。
戦争をリアルに想像できない人 - gonzales66の日記
ブコメにもちょっと書いたのだが、上ブログ主gonzales66の言う想像力を、そのまんまイマジネーションとかインスピレーションとかの意味にベタに受け取っている人が多いのにはちょっと驚いた。
確かにこのエントリでは、漫画?を持ち出したり、「想像力」なる語のこの種の用法を知らない人にとっては、誤解されて当然かな、という気はする。
「想像力の革命」というのは学生運動の頃によく使われた語で(世代的には自分も全然関係ないんでエラそうに語れないけどね。。。)、現実の社会システムを想像力によって乗り越えよう、というスローガンだ。現に社会システムに関与できない学生だからこそでもあるだろうし、いわゆる戦後文学のこの時期の隆盛も基本的にはこの考え方が背後にある。
要するに想像力というのは、ある種の政治的態度/立場の表明であって、現状肯定的・保守的な政治/政策に対する異議なわけだ。
具体的には、ある事柄について、その事実性ではなく可能性において考えることができないかというようなことだ。
ある事実が事実というだけで現にあるものとして肯定的に認知されているような状況があり、一方でそうではない可能性もある(あった)のではないか、という問いの立て方で現状を批判するという方法だ。(多分。違うかもしれない)
だが既に(自分とは関係なく)あるものを、なぜ自分が批判しなければいけないのか? それはいかなる回路で自分の問題となっているのか?

今年で43の俺としては、たった70年前という認識でいたのだけれど、そう思わない人がいるというのは改めてショックでした。


自分の親からは戦中、戦後のひもじさの経験をいつも聞かされていたし、今よりも日本の戦争は身近な存在だったような気がする。

http://d.hatena.ne.jp/gonzales66/20090607/1244372919

彼にとって、当時の親の体験を追体験しているわけではない。単に、親の時代が現在と連続したものとして受け取られているに過ぎない。
個々人が個々に体験した苦痛を他者が想像するなどできない。だが、ある状況下で構造的に引き起こされた既にある事実に対し、個人の感情や反応は普遍的である、とする前提があるなら、「想像力」が入り込む余地があり、すでに過ぎ去ったことにさえ「否」を言う余地ができる。*1
他者の経験を自分の問題(≠経験)として語りうるとするなら、それはなにより政治的な語りだろうし、実際「想像力」とはそのようなものだ。
しかし例えば人権侵害なる「罪」が成立する背景にはこれがあったはずだ。
無論、単に法律にその条項があるから人権侵害は違法なのだ/もしなければそれは罪ではない、という立場は可能だと思う。そういう主張は良く見るし、基本的人権の普遍性への異論など数えていたら日が暮れる。
実際、基本的人権に関わるような事例の場合、それを「歴史的事件」として焦点するためにはこの政治的な「想像力」は必要で、逆に言えばこの「想像力」の政治性を批判することで、基本的人権を、あるいは南京事件を(ありふれた事例として)相対化/無意味化できるわけだ。歴史上の事実に「罪」を見出そうとするのは「想像力」=政治が入り込んだ結果で「歴史を科学ではなく物語にするだろう」と。
だから当時の法/国際法に照らしてあの行為はどうであったのか、が焦点になっている。しかしそれら当時の国際法(捕虜の扱いとか)の成立した背景を考えてなお、あれを「違法だから悪かった」というだけの事件ととらえることが可能だろうか?
すでに近代的な人権概念は成立していたし、当時の国際法はその形跡である。だが目に見えるのは形跡だけで、人権概念は(今も)見ることができず、「想像」するしかない。
そして人権が侵害されるとき、それを違法であるというだけの理由で問題視することは、人権侵害を対応する量刑と交換可能とだすることで、要するに人権概念を無意味化することだ。「対応する罰を受け入るのならその人権侵害は結果的に正当である」という考え方を生むだろう。「想像力」とはそれに対する対抗思想である。
エントリ主はその意味で、歴史ではなく物語を問題にしている。「近代」という物語が語る「人権」およびその「普遍性」という政治を。なぜなら(南京等の)問題は常にその物語の場で起こっており、それに対し「70年前の中国人を想像できない」と言う人は、人権という概念そのものを無視しようとしていると言っていい。無論純粋に学問としての歴史ならそれでなんら問題はない。
つか、確かに想像力って、今や胡散臭い語になってしまってるな。ただこの文脈で使われた時くらい理解してやっていいと思うのだが。
そもそも知らないのか。この歴史の不連続も問題と思うが、生まれる前のことは知らなくていいらしいし。
「想像力」は今風に言うなら「危機感」に近い意味かもしれないな。
(当時のものをいろいろ読んでそう感じたというに過ぎないので、このエントリ自体すごいマト外れかも)

*1:少なくとも近代以降の人間に対してこの前提は共有されていると思うのだが