ネトウヨと戦前の日本

先のエントリは勢いで書いてしまったが、いろいろググる基本的人権は大体「自由権」と「社会権」とかに分かれるとか何とかある。
まあ普通に人権とか基本的人権とか言う時、そういう法律的な厳密さとは別に、その意味内容としては誰もが、

  • 自由に振舞えること
  • 他者から尊重されるべきこと

を意図して口にするんじゃないかと思う。
先のエントリでは、ネトウヨ/国士様の口にする「(基本的)人権」とは、上のうち前者のみを意味し、後者を所与の・普遍的な人権とは認めていないらしいと書いた。
ネトウヨ的には、個人は完全に自由であるが、だからといって(他者から)人間として尊重されなければならないって訳ではない。
先には単純に前者を「自由権」、後者を「生存権」としている。ググる生存権より「社会権」と言ったほうが正しいような気もしてきたが、どっちでもそんなに外れてない気がするので引き続きそうする。
いろいろを見ると、自由権というのは18世紀に成立した概念で、生存権/社会権は20世紀になってからの概念らしい。タイムラグがあるのね。
で、近代日本が成立したのはご存知19世紀だ。既に自由権の概念があり、しかし生存権が成立していない。
アタマが日本帝国成立前後で止まっているらしい国士様的には、生存権の否認はなるほど時代に適った「人権」に関する考え方ではあるわけだ。
そんな彼らも、さすがに個人の自由なるものの所与性・普遍性には異議が無いと思われる。それは19世紀人の彼らに先立って成立している概念で、彼らにとって文字通り所与のものだ。彼らにとって全て人は自由であるというのは当たり前の"自然"なものなのだろう。
(彼らによっても、無論、個人はさまざまな外的・社会的制約を受ける。ここでの「自由」は意思・良心・思想など内面における自由のこと)
それと比べると20世紀生まれの生存権は、彼らにとって歴史のある時点で誕生した歴史的な概念で、全く普遍的ではない。その誕生以前の人である彼らにとっては、生存権は対象化・相対化の可能な人為的なものだ。
ポッと出の生存権を「普遍的人権」などとリキみかえる20世紀の"後輩"を生暖かく見ながら、いやいやそれってある時期以降に成立した人為的概念ですから、つかオレらそれが生まれた経緯も見てるし、全然自然権とかじゃないから、ぐらいなもんかもしれない。
無論封建主義者から見たら自由権だって同じである。国士様が普遍=自然的概念と感じるらしい自由権も、単に彼らが生まれるより前に成立していたからそう感じられるだけだ。
そういった意味ではこの種の普遍性とは、ひどく当たり前のことだが、事実性の問題ではなく、単に決め事/約束の問題である。
「命は地球より重い」と自然な感情として感じたとしても、この感情は歴史的に形成されたものだ。
だがこの"自然"を(例えばその歴史性/事実性を)批判することにはあまり意味が無い。意味があるのは感情の背後にある約束であり、それが現に歴史的になされたということだからだ。
(無論本当に大切なのは法的に成立しているということだろうが、法律はここでは置いておく)
"自然"とか"普遍"の根拠はその概念が歴史的に成立したという"事実"であり、逆に言えば21世紀においてこの生存権を否認することは、既に起こった歴史的事実を否認することだ。極論すれば、19世紀的ネトウヨは存在しているだけで既に歴史修正主義的である。
ネトウヨは、他人の生存権を否認するように、自分自身のそれをも否定していると思われる。
現実問題、20世紀以降において、彼もまた周囲から"天与の尊厳を持つ個人"として人間らしく扱われるだろうが、それは彼が所与的に持つ人権ゆえでなく、単にそうする者の自由の問題である、と生存権などという"約束"は成立していないかのように振舞うことは出来るわけだ。
それをフリーライダーであると非難することは当たらない。誰もこれを免れることが出来ないからだ。普遍という意味である。
あるいは個人の自由が及ばない場所といってもいい。他者が自分をどう見、どう扱うかは結局自分にはどうしようもないからだ。
このように見るとき、生存/社会権は、自分の内部だけで解決できない現象である。自分の自由/責任に完全に帰することが出来ない。
19世紀において実際にこの自由権がどのように運用されていたのか知らないが、21世紀の現在、単に自由であることは、自足的である/自己に閉じていることと同義であるように思う。
そして生存権の否認は、要するに他者の視線の否認である。
というより、他者の視線/コミュニケーションをトータルに拒否した時に、19世紀的自由セカイが自己の内面に現れる。国士様の言う(戦前の)日本は、その別名である。
彼らの言うような19世紀的日本など実は存在していないとは、このような文脈で言われるべきもののような気がする。歴史的事実性の問題ではなく、徹頭徹尾彼らの内面の問題としてだ。*1
この件、もうちょっと考える。

*1:これはネトウヨ界隈に限ることでは無い。わかりやすいので国士様を例にあげているだけで、個人的にもともとこのような印象をエロゲ問題の時の"擁護派"の態度に感じたのが発端。