高齢者のロールモデル

日経スペシャル「ガイアの夜明け」 〜不況を突破する働き手たち〜
この番組は見たが、内容的にはまあ高齢者を上手くつかってよかったね、ぐらいにしか思わなかった。高齢化社会で、このように有能で戦力となる高齢者だって増えてくるだろう。
彼らが有能だからその能力を、というのは今後ありそうな考え方だろうが、思ったのは別のこと。
もうそろそろ、現役を引退した高齢者が何をするのかということが社会的な問題として考えられるべきなのかも知れない。だって、働けちゃう老人が増えてくるのだ。そんな彼らが日がな一日することも無くボーっとしてるのは、社会的損失という以前に、一人ひとりが人間として耐えられないのではないかと思う。
子供は「学生」だし成人すりゃ「会社員」とか「主婦」とか「フリーター」wだろうが、"高齢者"としか呼ばれない人は要するに社会的に何者でもないってことだ。
で、そういう精神的/社会的に不安定な人が増えるとそれ自体社会不安の原因になる。これまで70とか80とかまで元気に生きるというのは少数/例外的だったので問題じゃなかったが、高齢者率はもう50%を超える。
大量に「何もしない」人がいるというのは危険な気がする。しかも元気だ。
老人犯罪w とかはともかく、社会的に疎外された状態が恒常化すると、不安感・不満感が募ってくる場合はあるだろうし、多くの人がそれを抱える社会はちょっと。彼らはしばしば社会的のみならず、近親者からも孤立している。
孤独死だって要するにそういう問題だと考えたほうがいい。ワケありの・家族に先立たれた人が人間関係を無くしてしまうというより、高齢者にとって人との"関係"が家族・近親者しか無いことが問題視される方向に行ったほうがいいんじゃないか。
要するにもともと"社会"から切り離されてるから、ちょっとしたことですぐに孤立する。
しかし現実に、長すぎる余生を子供・孫が(物心両面で)支えきれなくなっている。身内との関係の希薄化はこの後も進むだろう。
なら、おのおのが友達でも作って何かすればいい、地域に知り合いがいないのは自分の責任だという言い方は(この種の考え方の常として)何も解決しないし、むしろ悪化させるだけだ。
彼らにも何らかの「社会的役割」を割り振るってことを考えたほうがいい頃と思う。社会として彼らに何かやってもらうわけだ。関係から切断されがちな彼らに所属する場所を与えると言ってもいい。人口の50%が孤独で何者でもないってのはまずい。
定年して何も考えずにいるとデフォルトで皆そうなる、というような社会的役割(学校に行って会社にいって結婚して、と何も考えずそうしたように)をあてがったほうがいい。*1
場所/役割って、では何を? 普通に考えれば何らかの「仕事」だろう。
まあ、ほっといてくれオレはひとりで悠々自適がいいんだっつー人間嫌いもいるだろうし、もう働くなんて真っ平ってのもいるだろう。そういうのはそれでいいとして(年金というBIもあることだし)、ただ高齢者っつーのは一般的にこんなことをしてるもんです、社会の中でこんな役割を担ってます、っつーロールモデルはあったほうがいいと思う。
そして「仕事」は社会で生きるうえで個人が必要としている要素をかなり満たしてくれる(自尊心とか帰属意識とか向上心とか経済的能力とか人間関係とか)。良くも悪くも、この社会で人間らしく生きるとは仕事をすることだ。
ロールモデル」としたが、実際には言葉は悪いが彼らを社会的にどう管理するかという話だ。別に個々の高齢者の幸福を心配しているわけではない(例えば家族と縁が切れたというような個別的なことはどうしようもない)。彼らをどのようにして社会や人生に対しネガティブな感情を持たせないようにするかということだ。
社会組織に所属すること、そこでなんらかの「仕事」をすることは、個人が社会的存在として生きる上で(この社会に対して肯定的な意識を持たせる上で)重要なことだと思う。
今、高齢者はそれを奪われている。
それは周囲の善意によるものかもしれないが(一生懸命働いたんだから後はラクして、みたいな)、いまや"余生"が長すぎ、それはおそらく近親者との縁も希薄な大して幸福でない孤独なものだ。そしてそのような余生を過ごすだろう人の絶対数が大きくなりすぎている。

*1:トップダウンで何かをあてがうというのは好ましくないが、歴史的に見ても日本の市民が自力でそんな組織を作り上げるとは考えにくいし、それを待つだけの時間的余裕があるかもわからない。