今、携帯サイトフィルタの意味を親が知らないなんてことがあるだろうか?

親が知らないというのもかなりの問題です。
携帯で検索すれば、即座にアダルトな画像にたどり着く事を知っているのだろうか。
また、やはりもっとmixi、モバゲーの内情を知るべき。

そろそろネット接続する行為に何らかの免許を設けようや! - ホームページを作る人のネタ帳

ネット接続に免許制、というのはまあ極論として語られているわけだろうが、(特に未成年が)ネットに接続できることによるメリットとデメリットのバランスが危うい、と感じる人は少なくないだろう。
このエントリではネット上の秩序と未成年の保護の二つのトピックが語られているが(無論関連するが)、そのうち後者について。そこでは現実的な被害がまず問題だが、それとは別のことをちょっと。
地域社会のありかたの変質が「郊外化」として説明されることがあると思う。
既に70年代から言われているようなことだろうが、最近では酒鬼薔薇事件の際に確か宮台あたりが言ってた。
郊外的な住宅地の問題?は、子供が子供だけの空間を持てなくなったことだとされる。
要するに大人の目の届かない遊び場(秘密基地?)がなくなって、空間が均質化されたとかなんとか言われているわけだ。子供にとってストレスフルな環境だということか。一方で子供部屋=個室化は進んでいる。これも70年代くらいから。
(あまり良く知らないのでかなり大雑把だけど)
で思うのは、今の子供たちにとって携帯/ネット空間って、多分「大人の目の届かない場所」として認識されているのだろうということだ。だから彼らはそこに群れるし、だとすると多分かなり楽しい場所だろうなーと思う。
むろん実にはそこは彼らだけの場ではない。彼らがそう認識していなかったとしても、ネット空間は誰でもそこにいられるパブリックな場だ。
変な話だが、本当に子供らしかいない場だったら、ひょっとしたら何らかの秩序(チカラ/暴力によるものかもしれないが)だってできるかもしれない。だが現実には、それは大人によりコントロールされ方向付けられたサービスに過ぎないわけだ。
ネット上のコミュニケーションで、ここは大人/社会からは隠れた、狭い空間/関係なのだと錯覚する。自分がそこにいると思った相手だけがそこにいると錯覚してしまう。
この錯覚は、ネットがそのようであって欲しいという願望の単純な反映で、掲示板上に現に他者の書き込みが見えないという単純すぎる理由でそれを信じ込む。
これは多分ネットワークに対する無知はあまり関係ない。だからこれは別に子供/未成年に限らない。ネットがまだ十分「現実社会」の目の届かない場所である、と何となく感じてはしゃいでいる人は少なくない。ネットワークにおける"物陰から声を出せる"という感覚が、必ずしも匿名掲示板というシステムによるものでないのはmixiを見ればわかる。
この錯覚は例えば教育により改めることは可能だろうか? だがそれで「世間の目の届かない場所」への願望/欲求がなくなるわけではない。多分子供はそのような場所でこそ社会/秩序の感覚を身につけることができると感じているからで*1、仮にそこで"ダークサイド"を覗き込んだとしても、この秩序の感覚と社会(人間)関係は緩衝地帯になるだろう。
そして教育により、ネットが子供の(社会関係の運営への)参画をもたらさないという現実が変わるわけでもない。
子供はその場の運営に関わることはなく、むしろ(運営=企業の)ゲストに過ぎない。その意味では、そこで彼らはいわば「消費者」としての自己および社会関係を(つまり消費のスタイルを)習得していくだけだ。
これは彼らが本当に望んだ場/関係ではないかもしれないが、そう見える。それで十分楽しいわけだが、そもそも望んだ社会・人間関係の感覚が身に付かないし、そうと気づかない。*2
今、各人の携帯は多分「個室化」している。親子であっても同意無しには踏み込めない領域として。
いまどき、中高生の親世代で「携帯サイトフィルタの意味を親が知らない」なんてことが一般的だろうか? むしろこの(子供の個室である)携帯のフィルタ機能について親子で話し合う、という場/関係が無いだけだ。
本当に知らないとしても、それは話し合うことができそうにないから知ろうとしない、だけだろう。子供の個室内の秩序についてまで口出しする正当な権利/資格を見出せない。
子供は秘密の基地を失った代わりに公然たる個室を得た。だがこれは本当に外部から隔絶している。それでも多くの子供は個室の扱いのマネジメントを自分で学ぶだろうが、一人で学ばないといけない。
これは自立というより孤立の感覚で、他者/社会への想像力の欠如と陳腐な言い方をしてもいい。この「一人」の感覚、人間関係のマネジメント能力の欠如が、ネットや社会に持ち込まれ/投影されている。それは企業により運営される空間とある程度親和的だろう。そこにおける個々人の振る舞いは本質的には「消費者的」だからだ。たとえモノを買わなくてもね。
またそれは今や子供に限らない。この現象は多分70年代には出ていたことだからで、だから親も子との関係を十分マネジメントできない。親もまた自らを「消費者」として(企業のゲストとして)形成してきたからだ。

*1:だからこそそこを楽しいと感じる。これは健全な感覚だ。

*2:子供だってバカではない。気づかないことはない。だがどれほど簡単なことでも、教わらなければ身に付かないというのも本当だ。