音楽には付加価値しかない

何故人々は音楽を「無料化しろ!」と叫ぶのでしょうか? 他の物に対して「無料化しろ!」と言わない人であっても、「音楽を無料化しろ!」と言ってしまう心理はどのようなメカニズムで生成されるのでしょうか?

音楽の解放:Geekなぺーじ

多分これそんなに難しいことじゃなくて、単に手で触れないモノと、カネというモノを交換することが感覚的に納得できていないだけだと思う。
どんなにいい曲だろうが「結局なんでもないじゃん」と思う。そこになにが「ある」か? と言われれば、なにも「無い」という生理感覚を拭い去れない。
音楽は字義通り「手にすることができない」し、そういうものにカネというモノを差し出せないのではないかな?
多分、個々の人間の経済/交換の観念って要するに「物々交換」を基にしていて、そこでは無形のデータとカネ(貨幣)が釣り合わない。
音楽CDの場合は、CDというモノにカネを払ってるんだ、と自らを納得させてきたわけだけれど(この物言いはこの種の問題で今でも良く聞く)、純粋に音楽=無形のデータとなった時に、それに対し自分が何がしかの対価をモノで支払うことを自分に納得させる理屈が見つからないのだと思う。なんでもないものとモノが交換され得るとは、生理的に納得できない。
無形のデータにだって文化的な"価値"があるとわかっていても、それがカネという物質と等価であるという等式が腑に落ちないのだと思う。
多分人々は、カネ/価値を貨幣の喩として捕らえているし、そこでの貨幣とは"数"のメタファーだろう。具体的に数えられる数、その大きさがカネを背後で価値付けている。抽象的な"価値"なるものでカネを理解しているわけではない。
簡単にいうと、音楽の価値を数値的に計量できないのだ。そのようなものをカネ="数"に置き換えて交換することができない。
実際に音楽データには価格がついているが、その価格の根拠に信頼が置けない。本来計量できないはずのものじゃないか、というわけだ。
だから、それでも支払いを促したいと思ったら、カネが財布から出て行くという感覚を消すことが必要だ。
支払いを不可視化するか(着メロ代は通信料として支払われる)、クレジット決済をもっと簡便化するというのも手だろう。消費者にはデータを支払っているような感覚にさせればいい。
そして極論すれば、価値を計量できないものに(みんなが納得するような)価格をつけることはできないし、その意味で例えば音楽自体には価値はなく、何かの付加価値として存在していくしかないと思う。音楽には芸術的/文化的な価値が明らかにあるが、それを数値的に計量し価格を算出する方法が無いのだ。
だからCDというモノの付加価値としての音楽、としてCDは買われていたし、iPodの付加価値としての音楽、というやり方でAppleiPodを売っている。
当初ジョブスは楽曲をタダで配ろうとしていた。つまりiPodにはモノとしての価値(価格)があり、音楽には、iPodで聞けるという価値があるだけ、ということだ。
音楽を聴くためにiPodがあるのではない、iPodを使うために音楽がある、そのような売り方をしたことがiPodの成功、というかジョブスの非凡なところだろう。
・・・というようなことはずいぶん前に書いたな。。。