太平洋に失墜したのはロケットと報道機関

ウチでは読売を取っているが、読売新聞はこの北朝鮮人工衛星騒動で、一貫してそれを「ミサイル」と呼称している。
普通にこりゃロケットだろみたいなことは最初からわかったと思うのだが、とにかく一貫してミサイルでやってきて、発射後もあらゆる事実がそれをロケットによる衛星打ち上げ(の失敗)だと示しているのに、それでもミサイルの呼称をやめない。
実際、発射前からロケットである可能性は(かなりの確度で)想定できていたわけだが、「実質的にロケットだろうがミサイルだろうが同じだ」と言いつつミサイルと言っていた。発射後も同じ理屈でミサイルと言っている。
例えば北朝鮮弾道ミサイル開発に関する全ての技術開発を禁止されており、例え実際に「平和的な宇宙開発」だったとしても、ミサイル開発に転用可能なものである以上これはミサイル開発であり、安保理決議違反である、との理屈は成り立つ。
だがそれをロケットだとした上で同様の批判は全く可能だし、あえてミサイルと呼称する必要が無い。「ミサイルだろうがロケットだろうが同じ」だとしても、同じならロケットと言えばいいのだ。
それをいろいろ屁理屈をこね回しながらミサイルなる語にこだわる様は、精一杯好意的に言って強弁だ。
読売がこの件に関して一定のオピニオンを持っており(例えば日本政府はこれをミサイル攻撃とみなした対応をすべきだとか)、そのためにミサイルの語があったほうが都合がいい、ということなのだろうか? 
としても、いくらアナタがミサイルであって欲しいと思っても、現実にはロケットなのだから、、
(読売はブッシュのイラク戦争終結宣言の際「イラク市民の解放」という表現を使ったな。。)
と思っていたのだが、どうやらこれは朝日も産経も同じらしい。
となるとこれはまた別の問題ということになる。
ある事件に関して、一般的な呼称みたいなものが利便性のために使われうことはあるが(「騒音おばさん」とか ww)、今回はそうではないだろう。つかそういうレベルの事件ではないだろ。
何か"上"から要請でもあったのだろうか? 
同様のことは、厚生官僚が続けて殺された事件でも感じた。
各報道機関はこれをかなり早い時期から「(政治)テロ」と呼んでいた。多分警察発表がそうだったのだろうが、詳細もわからないうちからテロと断定的に報道することに、大抵の読者/視聴者は違和感があったのではないかと思う。
今回、読売社内にだって違和感があったろう。彼らはこの違和感をどう処理しているのだろう?
今回だって(政府により)"ミサイルとされる物体"という言い方だってできる、というかそのほうが正確だ。
読売的にはミサイルであって欲しい派だろうが、そうだとしても社内的に何らかの抵抗感はなかったのかな? 
現実も歴史も、事実というよりは言葉によって描き出される。それは政府/政治家や報道機関によってだ(普通そうするチカラを権力と呼ぶ)。
政府には政府の思惑があり、報道機関も同様だ。言葉により現実/歴史が歪むことは不可避だが、歴史の当事者として報道機関はこの件に何を思ったのだろう?
政府の言い分をそのまま伝てしまうのは(たとえそれが社と同じ見解だったとしても)、権力の一方の当事者として無責任だろう。
事実とも違い、社のオピニオンでもないものを紙面に載せたのだと思わざるを得ない。
あるいはそれこそが、国の有事に際し取るべき報道機関の姿勢である、と考えているのかもしれない。

追記
政府の正式呼称は今も"飛翔体"なんだ。。。
いったいなんだこりゃ?"ミサイル"ってどこから来ているのだろう?
いつまで「飛翔体」? 新呼称「ミサイル関連飛翔体」も:イザ!