花岡による三題噺「大統一理論」

これ、どこまで本当だと思って書いているのだろうか?

14歳少女に振り回された? :イザ!

事件に関し、個人的に思うこととは別に(誰も様々なことを思うだろう)、自らの主要な主張を強化するために、程度を越えて単純化した結果だろうか?
本当はもっと別のことも言いたかったのだけど、自説を明確化し、論理を整合的にする過程で枝葉の部分や弱点となる部分を(時に意に反して)切り捨ててしまった?(そういうことはよくあることだ)。

・・・とでも考えなければ、このような思考はちょっと理解しづらい。このエントリに怒っている人も多いようだが、ただ個人的にはこの思考が理解できない。
様々な水準の問題が一緒くたに語られ、相互に無関係な要素が脈絡無く結び付けられ、事実と憶測が混同され、書かれている文言の意味内容は支離滅裂に見える。
何故こうなるのだろう?


彼の一連のエントリや発言は、なんというか筆者のコントロールを超えて破綻してしまっているように見える。
例えば米兵の犯罪と、性犯罪と、沖縄基地問題と、日米関係の、(おまけに彼の政治的敵対者の 笑)それぞれに別個の水準で語られていい問題が、筆者の内部の何らかのテーブル※の上で同じ次元で語られている。

要するにこの事件を媒介として、彼の政治的な主張と、(女)性に関する価値観と、米軍・沖縄に対する認識が、彼の内なる「大統一理論」を形成しようとして失敗している。
そもそも無理なのだ。例え沖縄米兵による少女強姦が起こったとしても、それらを直接的な因果関係で結ベない。それらは一義的には相互に無関係だからだ。それがまるで三題噺のように結ばれ、語られている。

ただ、これがイライラさせられるのは、意味が分からないからでも非常識だからでもなく、書き手が自分の主張を冷静にコントロールできていないからだ。
この「主張」は、彼の自意識が安易に自堕落にタレ流されているだけのように見える。自分の興味のある事柄についての(それのみの)妄想や願望が、事実の一部と表層で恣意的に結びついて、妄想が客観的な事実であるかのような妄想を再生産している。

 この記事から読み取れるのは、
 ・強姦の事実はなかった
 ・だから地検は強姦未遂罪の適用を検討した
 ・それでも起訴は難しいとして、少女に告訴取り下げを求めた
 ・・・ということではないのか。

上は事実をテクストのレベルで「解いている」。これをメディアリテラシだとでも言わんばかりだ。

まあ、記事ではなくブログだからね、一応妄想垂れ流しもいいけど、多分彼は自分が正確に何を書いてしまっているのか理解できていないと思う。(なにしろ「14歳少女に振り回された?」だ)
これはちょっと読むほうが「恥ずかしい」。

まあそんなものを読んでしまった方が悪いのだけどね。


※ 多分「妄想」

※追記   ここで知ったのだが。。。
うひゃー! すごいな。

14歳少女はこれを教訓として生きてほしい:イザ!

叫びたい気分だ叫ぼうイィィヤッホォォォォォ