携帯は学校教材にすればいいんじゃね?

ということを「ケータイ持たせない論」に見る大人教育の困難ブコメにちょっと書いた。冗談半分だったが、意外にいいかも。
携帯電話は「学校教材」として生徒に配布すれば(あるいは指定業者の製品購入を義務付ければ)いいのではないだろうか?
無論きわめて機能の制限されたものを。通話とメールのみとかね。
それならば、それ以外の携帯の学校への持ち込みを明確に禁止できるし、それ以外の一般的な携帯(ネット利用可能な)を持つことの可否を、各家庭の教育方針の問題とすることができる。
(携帯教材が既にあれば、子供の携帯利用を好ましく思っていない親も市販の携帯を禁止しやすくなるだろうし)
なぜ教育や行政は携帯電話の議論で発想の逆転をしないのか:No law,no life
実は上を読んで考えたことだったけど、上エントリはちょっと大げさすぎるというか、「禁止/制限」するより、何が(子供にとって)必要かを考えて、必要なものを「与える」ことをした方がいい(=簡単)と思った。
関係ないけど、ネットリテラシの問題に関しては、それこそ外部の人間の教育を先生と生徒が一緒になって受ければいいと思う。
先生にはここで生徒に、学ぶ/習うとはどのような態度をいうのか範を示してほしい(笑)。それだって教育だ。