DQNは、今

いまいち主旨をつかみかねたままなのでちょっとズレるかもしれないが、以下を読みながらいろいろと思ったことを。
「接近しつつあるDQNとオタク」の小考察:KAZAANATOMY

 そう、上記4つの現象には共通点がある。それは、リアルな社会において「低俗」とされているいわばDQNな文化と、アニメ・コスプレといったいわゆるオタクな文化が共存していることである。



 俺は、最近起こっている、このようなオタク文化DQN文化の融合現象が不思議でならない。何故このようなことが起こるのだろうか。

とはいえ、ひとまず表面上の接近?以上に本質的にDQN(いわゆる"ヤンキー")とオタクは異なっている。
オタクとそうでない人のモノ/情報に対する態度の差をわかりやすく説明した例。
ヲタクと非ヲタク:はてな匿名ダイアリー

そうか



ヲタクはその対象について語りたがるが



非ヲタクはその対象をネタに自分を語りたがるんだ…。



同じ方向を見ているのにも関わらず、



永遠に交わらない道を感じた一瞬だった。



いずれも自分語りに変わりは無いとの指摘がブコメにあるが、モノ/情報との距離感が異なっている。オタクは対象を語ることと自分を語ることの差異/境界があいまいで、モノを語ることが自分を語ることになっている。
この対象との未分化な自意識のありようがオタクの「幼稚さ」の原因だし、それがオタクをいかにもオタク的にしている。オタクが"幼稚"と見られるのは、いい大人になっても子供向けアニメを見ているからではない。
だからDQNがオタクの好きなキャラを車に描いたからといって、それをもってオタク的というのは違う。
むかしからヤンキーはヤンキーで彼らのアイドルがいたし、矢沢永吉工藤静香初音ミクになったところでそれを彼らの質的な変化とは呼べそうにない。
オタクが"幼い"のはアニメを見ているからではないし、同様にDQNの好む対象が3次から2次に移ったことも、それ自体としては彼らが以前より"幼い"=オタク的であることを意味しない。
DQN・レディースは意外に"カワイイ"ものが好きだし、いわゆるマスメディアに非常に親和的だ。
だから彼らがオタク的な文化にアクセスしたとしても、それはマス情報としてのそれに接近しているに過ぎない。これも上エントリで指摘される通り。ただオタク文化のマス化現象にインターネットを持ち出す必要は無いように思う。
おそらくDQNは今もDQNで、上述のような"対象との曖昧な同一化幻想"を持っていない。そのような態度の象徴として「オタク文化としてのアニメ」はあるが(エヴァは典型だ)、ただ漫画/アニメ自体にはDQNは拒否感が無いと思う(そもそも少年漫画誌には昔から途切れずヤンキー/不良/暴走族/ヤクザ系列の連載が続いている)。*1
多分オタクが思う以上に日本の漫画/アニメは"大きい"し、オタクとDQNが(漫画/アニメにおいて)融合しているというより、漫画/アニメにとってオタクは単に(DQNと等しい)一部分に過ぎないのだ、ということが忘れられがちだ。
だから漫画/アニメが「オタクだけのもの」だ、という前提から語り起こすことが違和感の原因だし、またそのような観念こそが"新しい"現象だとおもう。いつからオタクはアニメを本来はオタクのものと考えるようになったのだろう?*2
とはいえDQN自身も、自分達とアニメキャラは不似合いだと自覚しているだろう。
DQNが変容しているとしたら多分ここで、おそらく彼らはアニメキャラのペイントをある種のネタとしてやっている。例えばアニメオタクはアニメオタクをある種の(諧謔を含む)ネタとしてやっている。これと同じものであるかはわからないが、DQNもそうしている。本気と書いてマジと読む時代はDQNにおいても終わっているようだ。
ただこれ自体も彼らの本気(マジ)が通用しなくなった80年代後半には見え始めていた傾向だ。ファッションやライフスタイルに関して、DQN/ヤンキーのインスピレーションの本来の供給元である暴走族が事実上消滅したからかもしれない。彼らは見捨てられたのだ。(オタクも何かに見捨てられてそう。。。。)
つまりこの現象は、今や彼らのカルチャー/ライフスタイルの維持をマスメディア情報に負っている、ということを示すだけだ。無論それはDQNに限ったことではない。
余談:
痛車」はDQN的なのだろうか?
以前の(まだ電気街/パソコン街だったころの)秋葉原には、ホコ天に相当な数のビッグバイクが並んでいたと記憶している。当時アキバに通いつめる連中には機械/工学系の人間も多かったからで、バイクでアキバに乗りつけた彼らのかなりの部分アニオタでもあったはずだ。もはや死語になったかもしれないが、オタクにはメカフェチというジャンルがあった。
これら"メカ"を偏愛する連中が、単にクルマやバイクに思い入れているというだけでDQN的だとはいえないと思う。

*1:オタク(系の批評家)たちは、過去においてこれらDQN系の漫画をほぼ無視して語ることが無かったし、今もそうだ。梶原一騎以降?のこの系列の漫画をどのオタクがまともに取り上げたろうか? その意味で両者の断絶は今も健在である。つかタイガーマスクというレスラーいたよね。

*2:多分、ジャパニメーションが国際的な評価を受けはじめた頃だろう。その賞賛を独占しようとした、というわけでも無いだろうが、自分のことのようにうれしかったのだろう。