狭くて閉じて均質で、目的も無く意味も無い

そのデモでの主張が、「フジテレビ韓流ゴリ押し反対」でいいのか?
日本は、大丈夫なのか??

反フジテレビデモに出くわして色々考えさせられた


デモの光景を見た違和感は、何となくわかる。
なんて言うか、それってデモのような政治的手段でアピールするような問題じゃないよね、という違和感だ。
時々いる、何でも「それって法律とか憲法で禁止されてる訳?」とか言っちゃうタイプの人に感じるような残念感つーかウンザリ感。
市民デモが報道されないなんて別に今に始まったことじゃないけど、それが何か偏向の証拠であるようにあげつらっちゃうとかね。(報道された左・市民系デモなんて何がある?)
で、ネット民の一連の既存メディアへの攻撃って、どうしても彼らが身内を攻撃しているように見えるんだよね。信じていたのに騙された! というロジックが頻出する。
で、それが社会的なデモになってしまう。

セカイ(私の関心の範囲)

フジというと少なくとも数年前までは、比較的(若く保守的とされる)ネットユーザーに標的にされることの少なかったメディアではないかと思う。
この手では定番は朝日だったし、NHKも在日認定くらいされてたのではないかな?
反日メディアとして数年前に確固たる地位を築いたのが毎日・TBSで、例の大ネタでそれまでのショッカー戦闘員的な小粒リベラル感が払拭された感じ。
多分これは順番に回っているので、次は数年後に読売系がバッシングの対象になると思う。
最近めっきり老け込んだ社主が、そろそろ名誉とか勲章でも欲しいのかここ数年来リベラルな姿勢を見せ始めているので、これは時間の問題だと思う。
テレ東? 菓子でも食ってろ。
バッシングが大手メディアをぐるぐる回ってるのは、単にネット民らの生活や関心の中心に既存メディアがあるということにすぎないが(彼らが現に口にするのとは逆に、マスメディアは彼らにとって非常に親しい存在だ)、これを見て最初に想起するのは教室で起こるイジメだろう。
特にさしたる理由もなく、ほんの些細なことでイジメの対象が選ばれ、その対象はやはりさしたる理由なくどんどん移動していく。
昨日まで何ともなかった行動や発言が、今日は攻撃の対象になる。誰かが主導しているというわけでもなく、今・彼がイジメられる本当の理由は誰にもわからないわけだ。

正しい主導者

ただそれ以上に似ていると思うのは、やはり連合赤軍かな。
別に今回のデモ参加者やその態度に共通するものがあるなんてことでは全然ない。
そうじゃなくて、身近なところだけで標的がどんどん移動していって、順番に攻撃していくという経緯。
多分、メンバーの関心の範囲がとても狭くて、その狭い中でだけ視線がぐるぐる回ってることで憎悪が膨らんでいくという(心理学的な)構図。
そして何より、教室にあるような対象の恣意性が無くて、ある主導的な存在により攻撃先が方向付けられていること。
連合赤軍の場合それは森常夫だ。
彼のミソジニー権威主義と結びついた攻撃衝動が(共産主義イデオロギーを口実に)、赤軍内の内ゲバに一定の傾向を与えている。*1
ただ問題はそのような主導者ではなく、もっともらしく語られるイデオロギー的な正しさに抵抗できずに付和雷同する成員たちだ。
彼らもまたそれぞれに考えがあり、それに基づいて行動しているはずなのに、森の語る無理な断定や強引な屁理屈、言葉の上だけの「正しさ」に抵抗できない。
普段ならそんな見え透いた詭弁など相手にもしないだろう知性の持主たちが、ある固有の状況の下でそれに抵抗できないどころか、加担さえする。

インターネッツ空間

連合赤軍キャンプと教室に共通する「固有の状況」としては

  • 閉じた空間である
  • 非常に狭い
  • 均質的な成員

ということで、まあ恣意的な抽出だが、こうしてみると初期の赤坂憲雄を思わずにいられない。
詳細は忘れたが、赤坂は教室でイジメが起こる仕組みを成員の均質性に求めている。

同じような成員による均質性の高い構造は非常に不安定なので、安定化のためにメンバー内に異端を発見してそれを排除するという運動が必然的に起こり、それにより均質性を確保しようとする。
無論確保された均質性はそれ自体非常に不安定なので、、、この運動が無限に続くわけだ。
フジテレビデモの呼びかけはネット上で広がっている。
呼びかけた人も応じた人も、多分「問題」を非常に狭い範囲でしか見ていない。
自分の私的な関心の水準、ネットでの雑談のレベルを超えない態度で、国家大の問題を語ろうとしている。
それは単に女性隊員の「髪が長い」ということが「反革命的態度」であるかのような把握の仕方、決め付け方だ。そしてそんな理由で制裁が合意されてる。
連合赤軍は当初から閉塞していた。組織の目的が見失われ活動の意味もなくなり、自分たちの存在意義そのものを(言いかえれば敵を)常に発見し続けることが必要であるような状態だった。
繰り返すが、今回のデモが連合赤軍のような暴力性をはらんでいるなどと言いたいわけでは全くない。
そうではなく、事物の把握の仕方、事実関係の理解の仕方が共にとても退嬰的だと感じるわけだ。
そして今回のデモは日本のネット環境の現状、ある閉塞したコミュニケーションの状況が引き起こしたような気がする。
日本のインターネッツでのコミュニケーションの
狭く、
閉じていて、
均質で、
目的や意味が見失われている、
状況があり、それを抜け出そうとする時に自動的に必然的に起こった「第三項排除」の運動であるように見える。思想なり主張なりではなく、単なる構造的・力学的な物理運動に見えるのだ。
顕在化したのはエスカレートしたからで、それは"主導者"により方向づけられているからだ。
しかしこれは外部への回路を開くものでも、コミュニケーション空間を押し広げるものでもない。むしろそれを拒むことで安定化しようとするものだ。
この安定化への運動は罠だ。この運動は、それを無限に続けなければならないような状況を作り続けるだけだからだ。

*1:大塚英志「彼女たちの連合赤軍」。よい仕事