村上春樹とエルサレム賞について、政治と文学などという最早ありもしない対立が語られた件について。
これについてはy_arim氏がまとめているが、それでもfujipon氏の違和感が伝わっていないっぽいので、彼の感じただろう(私も)違和感についてちょっとだけ。ただy_arim氏の言うように関心のレイヤーが違うなら、単にすれ違いで終わるかもね(終わっているのか?)
村上春樹を読まずに批判してるって?:モジモジ君の日記。みたいな。
村上春樹、エルサレム賞受賞おめでとう!!:モジモジ君の日記。みたいな。
要するに、村上春樹により語られるだろうスピーチで、イスラエルの犯罪を婉曲的にせよ非難しないなら、彼の全ての作品は無価値だ、と言っているように聞こえるのだ(極端に言うとね)。*1
このブログ主が、そう受け取られかねないことを安易に言ってしまうところを見ると、そういうことの政治的・イデオロギー的な危険性を(村上春樹ほどに)自覚しているのか不安になる。
そう言ったつもりではない、というなら、まさにそれは言葉の持ちかねない意味/政治性につて無自覚に過ぎる。
実際、村上春樹は政治について直接的に語ることはあまりなく、せいぜい婉曲的に語るだけだ。だが政治について積極的にコミットしないことを政治性に無自覚であるなどと、彼の作品を見ていえるだろうか?
(直接的に)語らないには語らないなりの理由があり、そのことについて考えてみもせずに、その人物/作家(の政治的立場)について語りうると本気で思うのだろうか?
いや、語らないということは、単に非関与/中立を意図しているのみである、というなら、そのような過度の単純化をこそブログ読者は警戒するだろう。その単純化の持つ悪質な(他者を攻撃すること以外に役に立たない、という意味での)イデオロギー性を。
実際、村上が非政治的であろうとしていると、あるいは政治性に無自覚であると本気で思っているのか? また現在そんなことが可能だと(村上に限らず)思うのだろうか?
読んでないから知らないし、知る必要もない、それでも彼のスピーチにより判断し得る、というのはそれこそ中立の偽装である。
確かにバブルの頃、彼はノンポリな作家として受容された。ファンにとってだ。
だが彼がそのように受け入れられた時代はそう長く無い。デビュー当時、彼の非政治性は、その政治性故に受け入れられているし、村上は意図的だったはずだ。
またバブル崩壊後の彼を、「ノルウェイの森」しか読んだことがなさそうなOLに対するイメージで語ることもできない。それは偏見である。
だが彼の今回の一連のエントリは、村上に対するそのような一般的なイメージを下敷きにしているように見える。それをベースに村上本人について語ろうとしているように見えるのだ。そうでなければ、そのようでなかったソンダグを引き合いに出す意味も無いし、揶揄も必要ない。"事と次第によっては、こちらのリストに載ることになるでしょう"
y_arim氏は、村上春樹の名はそれ以外の誰とでも交換が可能であるというが、普段からmojimoji氏が親しみ、信頼している作家に対してであっても同じように書いただろうか?
春樹さんが、いや、文学者が、政治的な問題と無縁でいられるという神話は、どこに根拠をもつのだろうか。
村上春樹氏 エルサレム賞受賞 - 無造作な雲
いまどきそんな神話を言っているのは、神話批判者だけである。少なくともそんな"文学者"はもういない。ためにする批判、というヤツだ。
mojimoji氏もまたこの神話の存在を前提に、それを批判(というか揶揄)しているように見える。
*2
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