世界のフラット化と中谷巌の変節

中谷巌のこれを読んで、ちょっと変節・転向について書こうと思ったがやめた。
中谷の新自由主義への傾倒と変節は典型的な転向のパターンだが、似たような転向がむしろこれから起こるのではないかと思うからだ。

なぜ私は変節したか?:日経ビジネスオンライン

ブコメにもちょっと書いたのだが、例えばこの種の思考である。

みんなが「すべて」をみる場面においては、「サウンドバイト・ポリティックス」は不要です。この人類史上誰も手に入れたことのない約20分間を、オバマ新大統領はきっちり理解していた。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090123/183670/?P=2

フラット化とは一般には、IT技術の高度化により情報/経済がグローバルに同一市場化することを言うが、ここで彼の言うフラット化とは、フラット化の結果=恩恵として、エンドユーザーにとって情報やサービスが極度に低廉化し、ユニバーサルアクセス化することを指している。
"みんなが「すべて」をみる場面"とはそのようなフラット化した世界を言っており、今がまさにそうだと言っている。
無論そんなのはウソである。かつてデジタルデバイドと言われていたものは現在も存在するし、メディアリテラシーにも格差は存在する。
そしてそれは単にそれだけで存在するわけではなく、その背後にあるだろう教育/所得水準の格差の反映に過ぎない、と言っても間違いではないだろう。
だがこの情報格差として現れる教育/所得格差を、フラット化なる語は覆い隠そうとする。
この語を用いる者は、背後にある相対化できない格差を見ずに済む。オバマの演説を全部見るか見ないかを完全に個人の責任に転嫁できるのだ。自己責任と言う代わりに、ググレカスとでも言っておけばいい。
むろん現時点では、誰の目にもデジタルデバイドの存在は明らかだ。だからIT技術を以って全世界をフラット化するのだ、とGoogleあたりは言い、IT系のアルファブロガー(笑)も言っている。
要するに自分たちの商品を売るためのセールストークにすぎないが、それは訒小平の「豊かになれる者から豊かに」と同型のスローガンで、現実にはイデオロギーとして機能する。格差の解消という政治性を帯びているからだ。
実際、このイデオロギー性が厄介。Googleが言うように、それは"正しいこと"だからで、最終的な全世界のフラット化という、あからさまに階級闘争史観的な理想世界の実現を自分で信じ込んでしまう。上はその来るべき理想を先取りした気分なのだろう。でなきゃあんなエントリは書けない。
IT技術の進歩は、人々の所得/階層格差を解消する方向に進むか? 普通に考えてその逆だろう*1。分配/再分配の論理が無いからだ。
だがその不在をイデオロギーは覆い隠す。共産主義はもちろん、新自由主義ももともとはリベラリスト進歩主義者により主張されていた思想で、フラット化(フリードマン)もそうだ。これはどういうことだろう?*2格差/貧困の解消がそもそもの目的だったはずが、どこかで錯誤が起こる。
中谷は言っている。

その時の米国の印象は強烈でした。大学の教授陣はノーベル賞受賞者がずらり。同級生の頭の切れも素晴らしかった。授業についていくために、私は死にものぐるいで勉強しました。そうしてまじめに勉強すればするほど、米国近代経済学のロジックと緻密さに魅了されていきました。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090123/183649/?P=1

彼の言うとおり、当の「ロジック」とその「緻密さ」に説得されたのではなく、単に魅了されたのだろう。かつて圧倒的に緻密な史的唯物論をベースにしたマルクス主義が多くの人を魅了したように(ある種の人々にある緻密なロジックへの無抵抗は何よるのだろう)。
だがそれが現実的に格差化に帰結する危険性があることは容易に気づけたはずだ。すでにバブルの頃には、格差の極大化および階層の固定化/再生産は言われていたし、小泉改革当時にも新自由主義における安全網の欠如の帰結は(批判者により)説得的に論証されていたと思う。
別に私はフラット化やweb2.0新自由主義だと言いたいわけではない*3
ただ中谷に限らず新自由主義者に、なぜ当時そんな簡単なことがわからなかったのか? とは誰も問いたいだろう。同様に現在のフラット化についても、それを積極的に推し進めたい人たちに自問を促したい気がする時がある。それは本当にすべての人を掬う=救う網なのか? ある一定線以上の人だけを選択的に救う網ではないのか? 網からこぼれた人を救う論理が不在だが?
それでも本気で信じ込んでしまったなら、その人はいつか転向を余儀なくされるだろう。それはいつ頃になるだろう?

僕は社会や文化の違いに対する思いが足りなかった。米国的な改革をすれば日本がよくなると、ある一時期はナイーブに信じていた。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090123/183649/?P=1

だが単なる商人なら、これを機会に大もうけをたくらむだろう(Googleがそうであるように)。政治家なら鼻で笑いつつ有権者の動員に結びつけるだろう。
しかしそれ以外の人にとってイデオロギーが問題なのは、それが現にある構造的な問題を覆い隠し、個人の自己責任への転嫁を正当化するからだ。
無論フラット化には、(共産主義新自由主義と同様)肯定的な側面だってある。これによって初めて解決した問題というのもあるわけだ。ただそれが過度に政治や経済に(イデオロギーとして)コミットするのは危険だ。しかしどうやらその方向に進んでる。人やカネを動員するのに便利なのだ。
だから資本家が悪い、と言いたいのではない。彼らは資本の極大化を目指しているだけだし、彼らの言い分は悪いことばかりでもない。問題は、彼らのロジックに対し無批判/無抵抗であることだ。そういう人が、事態を悲惨なものにまで推し進める。

*1:無論理想的に運用されれば話は別だ。だがそれを言うなら市場原理主義だろうが共産主義だろうが同じだ

*2:資本は勝手に増殖するが、再分配には人間的な理性が必要で、リベラリストはそれを信じていない。だからこれについての構想が出てこないし、そのこと自体見まいとするのかも。
で、この種のニヒリズムは多分に左がかった自分にもあると認めざるを得ないなー。。

*3:もっともオープンソース運動を共産主義的だと非難?する人もいる。シリコンバレー/西海岸文化と左翼思想との親和性には異論は無いだろう