あらゆるソフトには交換価値=金銭的価値が無いとすると

これ読んで更に妄想。。

http://www.geekpage.jp/blog/?id=2008/1/30

それが不可避かはともかく、音楽(いわゆるコンテンツ)が安価/タダになってしまう可能性はあり、また実現するかはともかく、そうなるとしたらどんなカタチで流通するだろうなとは思う。やっぱ広告かな、とかね。
あらゆるソフト=コンテンツには既に金銭的価値が無いとする。

・あらゆるソフトには交換価値=金銭的価値が無いとすると

落ち着いて考えれば、広告主が広告を出すのは、買ってもらいたいからだ。
最終的に消費者はいずれかの場所でモノを消費する。世の中に張り巡らされた広告の糸をたどって、支払わざるを得ないモノ=価格をつけざるを得ないモノ、売り手がコストをゼロに出来ないモノにたどり着く。
そして「モノ」を買うということは当然

生産者-流通-小売-消費者

というプロセスを踏む。もし音楽のような無形のソフトがこのプロセスの中で存在価値を見出すとしたら、、、確かに「広告」か「付加価値」以外にはないかな、という気がする。
消費者にとってカネを払う価値があるのはモノなので、それに付随して食っていくしかないよね。

・広告

今、現実的と思えるのはやはり広告モデルということになる。
その意味で引用元の「カスタマイズされたリアルタイムな広告」というのは面白い感じがする。もっともどのようなカタチで音楽データと広告を関連付けようと、それを回避するのは簡単だろう。例えば、仮にデータに埋め込もうが、再生デバイスに埋め込もうが、それを回避するようなソフトウェアは簡単に作れそう。。
となると、広告として機能する=広告と音楽を不可分にする方法は1つしかなくて、要するにそれ自体が広告である音楽、ということになる。極論だけど、方向性としてはアリだろう。
消費者が受容する作品になるかは作家のウデ次第か。これはある意味広告産業として自立した音楽ということだろう。

・付加価値

iPodを売ってるアップルの基本的な考えがこれだよねー。
ジョブスにとって音楽や映画なんてそれ自体には何の価値も無くて、iPodというモノを売るためだけに可能な限り安く(時にはダタで)コンテンツをバラまいてる。
これはアップルの面白いところで、いわゆるIT企業はこれまでコンテンツをカネに変える方法を必死で考えてた(AOLもライブドアもコンテンツプロバイダを買収しようとしていた)けど、アップルはハナからモノを売ることしか考えてない。
音楽自体に価値など無くても、iPodで再生されるという価値がうまれるわけだ。無論iPod自体も音楽があって始めて価値があるわけで win-winなんだけど、主従は明らか。
ぶっちゃけ消費者だって、iPodが無ければ音楽なんて聞かないってことはあるわけだし。
つまりある商品/産業の一部分として生き残るという線だ。家電のデザイン部門みたいな。
ソニーデジタル家電部門の社員ミュージシャン? 今なら派遣社員かな。。


・当たり前の話だが、いつの時代にも芸術家は、カネを払ってくれる人のために創作する

なんだか今とほとんど変わらない気がしてきた。
ただいわゆる「文化産業」としての音楽産業がなくなることで、個々のミュージシャンは頑張るだろうが、消費者としては退屈になるかもね。
というか、聞く側も消費者としてしか音楽に対峙できなくなるし(彼らが買うのはiPodであって音楽ではない)、ミュージシャンは基本的に生産者の方を向いて音楽を作るだろう。
当たり前の話だが、いつの時代にも芸術家は、カネを払ってくれる人のために創作するのだ。
どうやったってモノはタダにはならず、誰かがサーバーにカネを払わないとニコニコ動画も見れない。
洗練された広告/付加価値に対し支払った意識の無い消費者と、モノに従属している意識の無いアマチュアが馴れ合って楽しい、というのが新しい可能性か。。。
まあそれでも十分楽しいじゃん、とはいえるかもね。