血が必要なんだっつーイメージ

若者の献血が激減していて、その原因は若者の意識の変化にあるそうな。

厚生労働省血液対策課の担当者は、
「全体的に減っていますが、若者の献血率の低下は尋常じゃないです。20数年でこれだけ減っているのは、若者の個人意識が高まり、助け合いで成り立っている献血に対しての意識が変化していることが大きいと思います」
といっている。

「尋常じゃない」若者の献血離れ 将来に不安、献血年齢一部引き下げ : J-CASTニュース

若者に社会的な助け合いの意識がなくなっていることを示唆しているが、実際のところこれを個人主義/利己主義と結びつけるのはどうかなーという気がするな。
もちろん激減しているからには何かが変わっているのだろうが。
なんかこれには若者の側に大した理由なんて無くて、彼らが献血という行為自体に関心を持たなくなっているだけではないかという気がする。単に広報不足からくるものかもしれないし、だから例えば献血する人も、それが実際に誰かの役に立つというとをイメージなどしていないのではないか?
中間で媒介する組織がある以上、これは避けられないことだが、だからこそ血液を必要としている現場の具体的なイメージの広報が必要なのではないかと思う。(例えばユニセフが広報にやせ細った子供の写真を添えるように)
こういうのを互助意識の低下と呼ぶのは多分違う。善意にあふれた人でも、困った人がいなければ(見えなければ)善行を施すことも無いからだ。
(無理矢理探しだしてでも善を行おうとする人もいるだろうが、そういう一種の変人は置いておく)
身体のイメージが乏しいとかバーチャルな感覚が云々とかに広げるつもりは無いが、この社会で(メディアで)死や血のイメージが忌避されるようになっているのは確かだし、医療体制の高度化で、現実の生活空間の中でそういったものに触れる機会が減っている。
現実の生活空間でも、死者/傷病者は日常から隔離され、抽象化されたイメージとしてしか見出されることはなく、それを現実の自分達の生活と地続きのものとして実感することもなくなっている。
「空恋」に限らず、メディアでは死や病が抽象的な記号としてのみ描かれてるようになっているが、それは多分我々の現実感覚に対応している。白血病赤いシリーズはもうちょっとリアルだった気がする。(子供だったからそう感じたのかも)
これが何者かの陰謀なのか、単に我々がそれを忌避しているに過ぎないのかはわからないが、我々が生きているかもしれない終わり無き日常に死や血の現実が介入することはほぼ無い(だから終わらないわけだが)。
それ自体はもう変わらないだろうけど、例えば人間は血の詰まった袋で、手術すると血液がドバドバ流れて、そこで血液が大量に無いと人間は死んでしまうんだみたいな表象(イメージ)が手近にあるのと無いのでは、例えば献血カー見る目が違ってくると思う。いまどきの若者はボランタリーの意識は低く無いと思うし。
血が必要な現場と状況を具体的に示せば、例えば視聴率が30パーセントくらいのドラマで「誰か血を下さい!父を助けてください!」とか堀北真希あたりに人混みで叫ばせれば献血もちょっとは増えたりするかもしれない。
そう遠くない以前まで、メディアにそういったイメージってあったような気がするんだよな。
こんなヌルいのじゃダメ>榮倉奈々が献血アピール「冬に血が足らなくなることがないように」
もはや現実が無い以上、そういった具体的なイメージが必要と思うが、でもメディアや我々がそういった生理的なイメージを嫌うようになってしまってる。それは採血する側もわかってるんだろう、献血の場を小奇麗にして血/生理的身体を極力感じさせないような方向にもっていくしか無いんだって。だから初音ミクっつー話しだろう。
血/病は(たぶん貧困や飢餓と比べても)イメージ悪いのだ。
でも現実に血を必要としている以上、もうちょっと踏み込まないと、まだけっこう残ってるかもしれない若者の善意に働きかけられない気がするな。そこら辺がうまくいけば、例えばホワイトバンド買ったような人たちなら献血だってやってくれると思う。*1
そもそもだいぶ前から献血は、提供者にとって実際の血を必要としている状況とは直接関係なかっただろうし、そういった意味では上の世代の献血数がさほど減らないのは、彼らを献血へと駆り立てたイメージは失われたが、習慣化してしまえば継続するんだってことかもしれないし。

*1:つか、もうちょっとナマナマしくやっていいと思う。最近の若者のボランティア意識って、多分そのような生々しい現実に飢えてる、それに直接触れたいってのが根底にあるような気がするし。