先日、漫画家の松本零士が亡くなった。
個人的には「ガンダム」世代なので、彼はちょっと上の世代の漫画家である。
ただ彼の作品に一時期親しんでおり、いくつか思い出したことと、ある時期以降考えなくなったことの続きを書いてみる。
小学生の時に友達に彼の漫画を借りて読んだことがあり(多分年上の兄弟のものだったのだろう)、それ以来彼の作品をいくつか読んでいた時期がある。
彼の作品には成熟した男女の性的なニュアンスが濃厚にあり、男子小学生にはそういう背伸び感が楽しかったのだw
たとえば「戦場まんがシリーズ」など、彼の作品を近所の古本屋で見つけては買っていた。
(当時の子供には過去の漫画作品へのアクセスは古本屋しかなかった)
そんなある時、別の友達から「クイーンエメラルダス」1巻を借り、それをきっかけにエメラルダスの単行本(全4巻)が古本屋に出てくるのを粘り強く待つことになる。(その友達も1巻しか持ってなかった)
全部揃ったのはいつだったか忘れたが、映画「銀河鉄道999」にエメラルダスが出ているのはすでに知っていた。
エメラルダスはメーテル似の宇宙海賊で、強力な宇宙戦艦に乗った、人々に恐れられる伝説の女戦士である。
そうそうコレコレ
だが松本零士自身の描くこの漫画を読んでみると、エメラルダスという人物のイメージはだいぶ違う。
70年代の作品という時代背景もあるのか(また初出が少女マンガ誌のせいか)、エメラルダスはむしろ寡黙で内省的、もの憂げで受け身な印象の人物である。
ウチラ世代が「銀河鉄道999」などで知っているこの女海賊のイメージは、毅然として成熟した大人の女性だ。
だがこの漫画の彼女はまだ若い、未成熟なニュアンスを残している。
特に彼女が女海賊になる前のエピソードでは、まるで孤独で夢想癖のある「文学少女」のようである。
実際この「クイーンエメラルダス」という作品は、彼女自身のモノローグ/日記の体裁をとっている。
そのストーリーは彼女の主観により語られたもので、彼女のモノローグやポエムwで出来事の意味付けがなされており、それはロマンチックなものである。
この時代(70年代)、日記・手記、一人称のエッセイは若い女性の文自己表現の典型だが、この作品も自分に起こったことを感傷的に振り返る彼女の日記のようなものだ。
作中の彼女は周囲で起こることにほとんど無関心で、自分から行動を起こすことは滅多にない。
海賊ではあるがまったく好戦的ではなく、むしろ争いごとを避けている。向こうからやってくる事件や人物に対して身を引いて観察するだけだで、時折関わることがあるにしても、それは彼女の私的な好奇心からだ。
バロック装飾の宇宙戦艦に一人乗りこみ、もの想いに耽っている。彼女にとって宇宙は彼女の(ロマン主義)文学の場であり、感傷の場である。
エメラルダスにそのような印象を持っていたが、後年ふとした機会にクイーンエメラルダスのOVAというアニメ作品を、何話かたまたま見た。1990年代後半である。
おおエメラルダス懐かしい、などと思って見たのだが、、、、とにかくイメージが違う。
そこに描かれたのは活動的で好戦的なエメラルダスだった。作品のクライマックスは戦闘シーンで、エメラルダスの無類の強さが印象的な、大胆不敵な女戦士である。
あれ全然印象が違う、というよりこれはオレのエメラルダスじゃないオレのエメラルダスを返せwとほとんどハラが立って来るほどだった。
だがいまさらそんなことに文句を言いたいのではない。
このエメラルダスの性格の変容が不審なのである。
ここで描かれたエメラルダスは、映画「銀河鉄道999」で星野鉄郎や宇宙山賊?アンタレスがイメージで語る姿そのままだ。彼らはエメラルダスをほとんど知らないが、あろうことかこのアニメは彼らの曖昧な憶測や伝聞に依拠して作られている。
要するにアニメ作家/原作者が、作中人物の語る「伝説」を真に受けている。だから作中人物が語る「伝説」そのままのアニメ作品が出来上がる。
フィクションの中で語られるフィクション(メタフィクション)が、フィクションに格上げ(格下げ?)されている。
しかしこの問題の本質は、作者がなによりエメラルダス自身の言葉を真に受けていることだ。
要するに彼女を無敵の女戦士として描く気になったのは、エメラルダスは当初から自分を「海賊」だの「大宇宙の魔女」だの言っているからだ。それを真に受けている。
だがそれは彼女が航海日誌にでも書いてる自意識過剰なポエムだ。それを文字通りに読んじゃイカンw
似たような問題に、エメラルダスとメーテルが実の姉妹だったというのがある。
(二人はただの友達のはずなんだけど。。。。)
実はこれもエメラルダス自身がそう言ってる。
だが彼女がメーテルを「私の双子の妹」と言ったとしても、それは図書館でリルケでも読んでそうな文学趣味の女の比喩表現だと考えた方がいい。
つかエメラルダスは感傷的で自己陶酔型の文系女なんだよ。自分を「海賊」だの「魔女」だの言っても要するに全部ただのポエムなの。
それを真に受けるなよ作者ともあろう者が。
これら一連の「問題」は90年代に起こっている。
ファンならよく知っている事で、この頃いろいろな作品やキャラクターを統一する「松本零士ワールド」が出来上がっている。ただ実際にはそれは多様な作品を無理矢理まとめあげたもので、長年の読者も困惑したようだ。
オレは継続的な読者じゃなかったが、それでもその作品世界は、なにか訳のわからないものを見ている、という感じがする。
これらはパラレルワールドだのスピンオフだのとは違う。
また単に設定に矛盾があるとかストーリーがおかしいとか質が低いということではない。
読んでいて、なにか口のうまい詐欺にでも騙されているような感じがする。
山賊のホラもエメラルダスのポエムも、フィクションの中で語られる嘘だが、この嘘が事実として作品のなかに平然と表れている。もはや論理トリックであるw
しかも読者が騙されるのではない。作者こそが騙されている。
だがそれはトリックでも詐欺でもなく、自意識過剰な文学少女のつぶやいた、どこまでが真実かわかりにくいポエムだった。
この時期の、不可解で何かが破綻しかけている松本零士の「世界観」を作ったのは、実はエメラルダスの曖昧なポエムであると個人的には思っている。
(ちなみにメーテルにも似たようなポエム趣味がある。この2人の周囲を取り巻く設定の無茶苦茶さは、たぶん彼女たちの言葉のせいであるw)