日米中関係の150年

これは面白い。へーという感じ。


石橋湛山がすごい:過ぎ去ろうとしない過去
確かにスゴイのだろうが、このようなことは今でもよく言われていて、何か特別なことではない(まあ100年前!だが)。
実際にスゴイのは、その内容以上に形式が説得力を持っているということで、文語表現であるということそのものが、言ってることに重みがあるように感じさせている。
実際、「国や法律なんて人が幸せになるためにあるんで、まずみんなの最低限の幸せを保障することが最優先だろ」と書くと激しい突っ込みが来るだろうが、


人が国家を形作り国民として団結するのは、人類として、個人として、人間として生きるためである。決して国民として生きるためでも何でもない。宗教や文芸、あに独り人を人として生かしむるものであろう。人の形づくり、人の一切が、人を人として生かしむることを唯一の目的とせるものである。

と書くと「慧眼」とか言われちゃうわけだ。リベラルとして模範的な回答なのは確かだが、単に典型的でもある。(同じようなことは多分福島瑞穂あたりも言ってるぞ 笑)

しかしもう一点スゴイのは、日中(そして米国)の関係がこの150年全く変わっていないということだ。
日本の開国以降、日米は中国の市場を奪い合うことのみを繰り返していて、それが両者の最終的な目的、つまり利害の対立点であり続けている。とりわけ日本において(特に国家主義的な)イデオロギーは単にこの資本主義的な「目的」に付随して存在しているに過ぎない、ということが示唆されているといっていい。日本の対中国政策は常に米国の中国政策と関連してあり、中国の「排日」が問題になるのはこの文脈においてのみなのだ。

もっとも中国も本当に「目覚めて」しまいそうで、そんな構図も変わるのかな。
中国の外交の基本理念は「漁夫の利」だそうで、確かに日米(ソ)を天秤にかけ続けた150年だよな。。