法廷の世俗化と裁判員の説教

個人的にはここまでキツいことを言う気にはなれないが、裁判員制度にはなんとなく違和感を覚えるのも確か。
説教に関しては、、、、まあ微妙かな。裁判員は(裁判官と違い)、被告を見下ろす位置にいないんじゃないかな、という話も。
公設私刑制度としての裁判員 - こころ世代のテンノーゲーム
市民が犯罪を判断する/裁くという性格上仕方ないが、どうしても判断が被害者寄りになる。被害者感情を忖度して云々でなく、単に一般市民が自身を投影するとしたら被害者以外に無く、そこからの視点しか持てないからだ。
そうである以上、法の公正というよりは加罰/報復感情が先に来る(人間的な弱さ?からそうなるのではなく、構造的にそうなる、ということね)。
本来判事が被害者とも加害者とも立場を共有しない第三者であることには意味があったわけだ。
したがって裁判員は事実上、原告・検察側の新たな証人であるわけだ。あるいは新たな原告だと言っていい。潜在的には、彼らの数だけ被告の罪状は増えるだろう。
検察が厳罰化を目論んで云々、というのはうがちすぎだろうが、司法判断が市民感情とかけ離れていると批判された時、それは事実上厳罰化の要求だったわけだから、(本来あるべきでない)法の公正を超えての加罰をこういう形で法制度内に丸く治めた、と言うことはできる。
現実には、良心的だろう裁判員達は、被告の心情/事情を最大限理解しようとし、自身を投影することさえ試みるだろう。悪い奴は死刑にでもすりゃいいんだ、という単純な発想で審理に臨むネトウヨ裁判員がいるとは思えない。
ただそれでも最終的な判断において、裁判員達は自分が何故ここにいるのか、市民が判事として採用された意味を考え、体現しようとするだろう。
「市民の視点から」というのがその意味で、それは要するに被害者の視点から被告を裁かなければならない、という以外ではないわけだ。単に法的な観点からの裁きなら、「市民」がわざわざそうと名指され法廷に呼ばれる意味が無い。
この「市民」が呼ばれた「意味」が裁判員を縛るだろう。そこでは厳罰化以外の選択肢はほぼ無い。従来の裁判官がやっていたのと同じことをするわけにはいかないからだ。「市民の意思」を判決に反映させなければならない。
むろん従来の裁判官達がそうであるように、裁判員も公正な判断を心がけるだろうが、両者にとっての「公正」が同じものであるとは限らない。

どのような法の適用にも常に解釈の余地はあり、最終的な決定は従来裁判官の「良識」によっている。
この「良識」は文字通りの意味というより、単に、いかなる意味でも第三者であること、法の文言(あるいは精神?)に、厳密に立脚していること、を意味するに過ぎない。
この種の独立、現世からの分離?こそが公正を担保し得る(とみなされる)根拠であったわけだが、上述の通り、裁判員は一方の立場により近い。
「良識」が市民的な「一般常識」に置き換えられるだろう。それは裁判における「公正」のバックグラウンドになる。
この法廷の"世俗化"が果たして問題か? といえばそんなことはないように思う。
「良識」と「常識」の間にひどい乖離があるとは思えないし、被告/犯罪者が対峙するのは抽象的な「法」体系ではなく、具体的な人々・世間様なのだ、というのは厳罰化とは違った効果があるかもしれない。
市民が市民を裁くことを直ちに「私刑」というのは正しく無いだろうが、件の女裁判員の説教がどうも、、、なのは、要するに「オマエ何様? オマエも被告も同じ市民だっつーこと忘れてない?」ということだ。上から目線で語っているように見える。*1
従来の裁判官の説教は形式的には(旧教的な)聖職者による説教だったわけだが、それは裁判員のできることではない。ならば上エントリのようにそれを「リンチ」と呼びうるかもしれない。
だからといって「市民の暴走」が起こるのかといえば、法およびその管理者たる裁判官により制限されるだろう。

裁判員による重罰化傾向は、要するにそれこそが世俗/市民社会における「公正」である、ということかもしれない。これは我々にとって新たな基準だが、楽観すべきか危惧すべきかは正直わからない。
量刑自体は慣れの問題に過ぎないかもしれない。ただ市民が、反市民社会的だったり非市民社会的(あるいはマイノリティを含むかもしれない)だったりする相手をどう認知するかが、多分この制度の問題の焦点になる。
個人的には裁判員制度には批判的なのだが、多分"法廷の世俗化"はそんなに悪いことばかりでもないと思う。
なにより、裁判員は「市民」として参加し、「自分」という個を前面に出すことは無いだろうという程度には「常識」を信頼していいと思う。

その中でバランスを取るために、法律という擬制的客観が「中庸」として作られているにも関わらず、「自分の正義」を「悪人」にぶつけて自己満足に浸るこの制度が、私刑=リンチでなくて一体何なのだろうか。

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*1:本当のところはどうかわからないが。