表現の自由とか言っちゃう大人の人って、、、

コンビニにチョコビ買いにきたついでにコロコロ立ち読みしている小学生の目の高さに、少女を純粋に性的な対象としてのみ表象するロリ絵が普通においてあるという光景を見るたびに、誰がこれを了解し、これを避けられない理由は何で、これを正当であるとする論理はいかに可能であったのかを軽く考えたりはする。
もっとも当人は(特に男子であれば)さして気にしないような気もする(女子が"少女であること"が現にそのように取り扱われ、日常に表立って配置され、またそれが当然であるらしいことをどう感じているかは知らない)。
そういった意味では、結局はこれは大人の都合だということはできる。例の条例案における青少年の健全な云々は、結局この都合の正当化のための理屈だろう。本当に子供自身やその状況を代弁したものか? と問われれば厳密にはノーだ。
それこそが何か本質的な問題であると考える人はいるらしいが、個人的にはむしろほとんど無意味だと思うのでスルーする。
児童が主たる対象となったがポルノ表現であれば、そりゃ写真だろうが漫画だろうが児童ポルノだ、というのは普通の感覚だろう。
例の「非実在青少年」ってのも、要するにこの種の感覚に基づいており、ポルノ漫画もポルノだと言っているに過ぎない。

id:y_arimがどこかで言ったように、2次は実在せず3次は単に犯罪なので、"児童ポルノ"というのは存在しない、というような切り分けは大切で、上記の感覚では前者は児童ポルノだろう。ただ現在、"児童ポルノ"という語を無条件にダイレクトに犯罪と結び付けようとする立場があり、この語を使えなくなっている。ここでは児童ポルノをそれ自体が犯罪であるような語としては使わない。

問題の部分は、児童ポルノに限らず、広く人権の侵害を擁護・肯定するような表現・表象を規制の対象にするといっている。
理由付けはともかく、これ自体は一定の理解なり合意なりを得られる立場だと思う。だからこそこの条例案は結局通ってしまうだろう。
個人的に本当に問題だと思うのは、このように感じる人が相応にいて、にもかかわらず公権力が口を出してくるまで市民/市場のレベルでこれを回避出来なかったという現実だ。
端的に言えば、業界・関係者は何をしていたのだ? ということだ。
基本的にどんな法律だって社会の一定の同意を得ないと通らない。なんらかのルールが必要だと考えている人が一定以上にいて(オレもそうだ)、この状況の緩和に最初に責任を負うのは誰だ? それは業界関係者では無かったのか?
表現の自由も結構だが、この点に関しての責任や改善の能力や意思を見せられなかったことが、行政の介入を招いた原因ではないのか?

かんたんにいえば、
民間によるゾーニングは出来ない。

民間によるエロマンガ規制はできない - byj6の日記

関係者にはそのモチベーションがそもそも無いからだ、と言っている。関係者は単に受益者といっていいと思うが、出版や流通、小売の業界だ。(ここで作者・消費者は除外する。たとえばコミケでの売買は規制の対象外とされている)
はてブにあるような(反対派の)声が一般的な反対意見かどうかはわからないが、受益者達によりしばしば使われる「表現の自由」云々という言い方ではもう誰も説得できないだろう。
表現の自由を言う反対者は忘れてしまっているのかもしれないが、相手も十分にこの社会における権利や自由について理解しているだろうからだ。その上での抗議なり批判なりであると想定するのがもはや当然だ。
いまは50年代くらいの戦後民主主義が始まって間もない頃じゃない。みな後ろ暗い過去があり、封建主義者と決め付けられれば黙るしかない、みたいな時代じゃないのだ。誰も反対者と同じ程度には、自由なり権利なりを重視し体現し受益しているからだ。
むしろ権利なり自由なりを言ってればなんでも通る、っつー態度こそファナティックと見られるのがオチだ。
この社会は(単純な反対者が思う以上に)民主的で、双方の利害を当事者同士の話し合いで調整しなければならない。相手の言い分を聞けないのは致命的だ。話ができないと見られると、次は司法か行政が出てくる。
例えば今回の条例案は2次について特に何も禁止していない。しかるべき場所で売れといってるだけだ。描くな/売るな/買うななどとは言っていない。むしろ関係者の権利に配慮している。
これを自分達の主張こそ正当であるからだ、とか勘違いしないほうがいい。誰も(推進派も)表現の自由を(反対派同様に)重視しているということの反映にすぎない。
だからいまから反対するなら、表現の自由を超えて主張をしたほうがいい。表現の自由しか言わないなら、特に主張することは無いんだと思われる。そして状況を改善する責任も感じていないんだと。
条例案を廃案に追い込んだところで、自力で秩序を作れなければ、再度同じことが起こる。コンビニの児童ポルノを何とかして欲しいという意見・立場はおそらく消えはしないからだ。

個人的には、なんであれ法による規制は最下策だろうと思う。にもかかわらず多くの法があるのは、ある事柄についてそれが「必要」であり、しかし代替策が無いからだと思っている。
今回の件にしても、本当は国なり自治体なりが口を挟んでくることではない。
ただこれが、規制したい人たちが法規制より他に手が無いと感じた結果だとしたら、そう感じさせた原因について考えたほうがいい。手前のケツを手前で拭かなければ誰かが出てくる。飼い犬の糞を始末しなければ誰かが出てくるのだ。そこは公道だからだ。表現の自由で何とかなる問題じゃない。自分の飼ってる欲望の始末ぐらい自分でするものだと誰も思うだろう。
都知事の顔を思い浮かべれば、ただ市民の権利を奪いたいだけだろ、と言いたくなる気持ちもわかるし、「単純所持の処罰」を視野に入れてるらしい奴がいることもわかる。だが、少なくとも条例案自体にそうと推測するに足る根拠は無い。
(一部の勢力に利用されてるにせよ)一定の市民感情が反映していると読むべきだし、多分それを踏みにじれるほど個人の自由は万能ではない。民主主義も自由も権利も、半世紀前のように輝いてはいない。それは我々が成熟したということでもある。
学生のころ、他大学の漫画・アニメーション部の知人に誘われて、そのサークルの自主制作アニメの上映会に行ったことがある(学祭だったか?)
まだフィルムによる上映会だったが、確か可愛らしいネコが突如何の意味もなくリアル&グロテスクな目にあう残酷なスプラッタ的なもので、まあ大学生の作りそうな凡庸なものだ。
事実上内輪だけしか客は無かったが、アニメ&ネコに惹かれてか若い母親と2人の5歳くらいの姉妹もいた。
上映後異変に気づいた母親は2人をつれて黙って出て行ったが、この状況は事前に防げなかったか? とは思った。内容を知っている人はそこにいたのだ。
法による外的な強制力があれば可能だったろう。だがサークルに表現の自由があり、彼らは確かに何も悪いことはしていない。何もしていない
姉妹の健全な育成に悪影響があったとは、いかなる合理的観点からも言えない。
つまりこれは避けられなかったのか?