被曝者を「3本腕の怪物」と見ている人について

例の、フランスの週刊誌の風刺画に対して日本政府として抗議するということらしい。

仏週刊紙が五輪と原発問題絡めた風刺画、日本政府は抗議へ
フランスでは去年、福島の原子力災害と絡めてサッカー日本代表のGK川島を4本腕にしている。
今度は3本腕の力士だと。
風刺画にあって、たとえば腕が4本だったり体が両生類だったり足がロボットだったり、なんてのは別に珍しくもない。
その意味では、たとえば川島の腕が4本になったところで、放射線被曝のステレオタイプな表現だろう。
当時、川島はそれを悲しいと言っているが(多くの日本人もそう感じるだろう)、実際のところこの「悲しさ」はいったいなんだろうとは当時も思った。これがフランス人には通じていないようだったからだ。
日本人の「放射線被曝」に関する視線は、フランス人とはかなり異なっているのではないか? それが両国の反応の違いになっているのかも、と思うようになった。
そのような「視線」とは、被爆を奇形へ、そして被差別へとダイレクトに連想することで、それはたぶん日本人に固有のものだ。
フランス人が放射線被爆にどのような感覚を持っているかは知らないが(フランスの「風刺」はこれで2度目だが、原子力大国として被爆について他の国とは違う屈託があるのだろう)、少なくとも川島が感じるような悲しみは理解できないだろう。
この「悲しみ」は差別されることの悲しみで、それは日本人自身の問題だからだ。
戦後の日本人の「核アレルギー」はよく言われるが、これは広島・長崎の被爆体験が原点としてある。
しかしこれは核攻撃の被害者・放射能汚染の被害者としての意識というだけではない。
その後、日本人自ら、広島や長崎の被爆者に対する(心情的・社会的なレベルでの)差別を行っていることが、日本人の核に対する意識におそらく重大な影響を与えている。
戦後早い時期から被爆者は「ヒバクシャ」としてラベリングされ、「向こう側」へ追いやられた。単に病傷者としてではなく、(ケロイドのような)扇情的で定形化したビジュアルイメージと結びつき、ほとんど「ケガレ」の観念によって生理的に嫌悪され、烙印されている。
現在はさすがに生理感覚的な嫌悪や忌避は薄れているだろうが(単に時間経過の効果…人数が減ってるからだ)、形を変えて引き続いている。たとえば被爆者を詐欺師呼ばわりする連中は少なくない。
日本人の「核アレルギー」は、核兵器原子力の忌避ではなく、被爆健康被害の忌避でさえなく(日本人はキレイな被爆としての白血病は大好き)、「ケガレ」の忌避で、端的には自分たちがやってきたヒバクシャ差別が自分自身に折り返ってくることを恐れていると言っていい。

去年、川島を4本腕にした際の、当事者の言い分。

 一方、司会者のローラン・リュキエ氏は日本側が抗議しフランス側が謝罪したことについて「ばかげた議論だ」と語った。17日付のパリジャン紙に「私の冗談の対象は2つ。日本に負けたフランス代表と、原子力災害が引き起こす結果だ」と述べ「私は福島の被災者に敬意を持っており、被災者については何も言っていない」と主張した。

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/10/18/kiji/K20121018004354551.html

だがこの件に関して日本人は、「原子力災害が引き起こす結果」自体には特段興味がない。一方フランス人はそれを冗談にしたので、そういう意味では何が悪いということもない。
ただ日本人にとってこれは「原子力災害の結果」だけでおさまる問題ではないのだ。
3本腕の怪物というビジュアルイメージは、彼らにとっては冗談だが、日本人にとってほとんど存在論的な不安である。フクシマが地理的・心理的に近いからではない。被曝者を怪物/異物と見る視線や発想は、フランス人には荒唐無稽な冗談でも、我々にとってはリアルな現実だからだ。
実は他ならぬ我々自身が放射線被曝者を「怪物」と見ている、それが暴かれている。無論これはフランス人は全く意図していない事だ。
日本人にとって、福島の災害は単に原子力災害なのではなく、われわれ自身が被差別者に転落するかもしれない、という恐怖を伴っている。
自身が歴史的に行ってきた行為に復讐される、存在論的な不安といったのはそういう意味だ。

このニュースのブコメにはこれをフランス人の「悪意」と表現している人がいる。しかし彼らの弁明を見てわかるとおり、彼らはそもそも被曝者に対する差別の「視線」自体が無いようで、したがって「悪意」もない/理解できないようだ。

これに対し、同紙のルイマリ・オロー(Louis-Marie Horeau)編集長は、「われわれには悪意のないように思える風刺画」に対する日本からの反応に「ただただ困惑している」として、「ユーモアを表現しているからといって、被災者の皆さんを侮辱していることにはならない。ここ(フランス)では、悲劇に対してはユーモアを持って立ち向かうものだが、どうやら日本ではそうではないようだ」と語った。

福島風刺の仏紙、「ユーモア感覚ない」と日本の批判を一蹴 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News

ここで、被曝者への「悪意」を持っているのは実はフランス人ではない、ということが露わになる。この問題の問題性はそこにある。
関係ないが、たとえばアメリカにも被曝者はいるし、韓国にもロシアにもフランスにもいるはずだ。彼らもまたそれそれの文化において「被曝者」としての烙印を押されているのだろうか?